20150930
個展は延期
今年の12月に個展する予定で この一年 その方向で動いていましたが
悩みに悩んだ末に 延期することにしました
一年前に申し込んで 場所も日にちも決まっていました
私は今の愛知県芸術文化センターになる前の
愛知県美術館での最後の展示をした卒業生です
卒展の終わりがけ この入り口からの光景も見納めかーと
しっかりまぶたに焼き付け
ここで展示をする事はもうないのだなーと
大理石張りの冷たい美術館の中でデッサンしたのを 思い出します
描きながら
いつか新しくできた美術館で 展示をする日が来るのだろうか?と思っていました
それから20年以上の間に色んな事があって
もう絵を描く事はないと しっかり扉を閉めて鍵をかけて封印してしまい
新しく出来た美術館にも近寄らず
芸術文化には目をそらし生きて来ました
それでもどうしても捨てられなかった日本画の道具類
今でも幻の三千本膠を使わずに数本持っています
心の奥底の片隅に いつか又ここで展示したいって気持ちがあったのに ずっとずっと蓋をして見ないようにして
絵を描くのは 私に老後があるならば老後でいい
そんな風に思っていました
いつからスタートしたって遅くないって 自分に言い聞かせて
どうしてやめたの?なんて聞かれても
何も言葉に出来ない程色んな事があったんです
強いて言うなら
「好きだけじゃやれない事もある」位かなー?
【心技体】はスポーツの世界だけじゃない
この3つどれが欠けても成り立たない
私0か100かしか出来ないんで
やるなら趣味じゃとどまらず極めたいし
中途半端ならやらない方がマシと思う極端な性格
今まで色んな事してきたけど
苦手なデザインの世界もやったけど
そもそも性に合わないのに
やるならトコトンの性格が出てしまって パニック障害になって
じゃあクリエイターの世界ならと 思ったけど
やっぱ ここ違うわって思った
デザインやクリエイターの世界は やっぱり買う人がいてこそ みたいな 他人目線がどうしてもいる と思う
人の言うかわいい~が私には どうしても理解できないし
一生懸命考えたデザインだって あっさり真似された盗まれていく虚しさ
私が思う画家とは 自我の世界
他人がどう思おうが私がこう表現したいんだ‼って言う
売れるとかどうとかなんて 二の次 三の次の
究極な【我がまま】の自己表現の方法
絵だけは他人と比較されない世界
そんな世界で高校時代と二年間の浪人生活した私が一般社会に出て行くと言うのは
海の生き物が地上に上がり生きていくようなもので
とっても息(生き)苦しかった
そこに気がついていたのに やっぱり目をそらしていた
誰しもが口にする
【絵描きじゃ喰っていけない】と言う見えない鎖にいつのまにか縛られて
私が高校を美術科で選んだ時
市工芸と言う選択肢も薦められました
でも私デザイナー向いてない
絵描きの素質持ってるって 何か変な根拠のない?自信があって
【絵描きじゃ喰っていけない】と言われる度に 「私に限ってはそんなことない」って思ってましたし(笑)
そこに不安も感じていませんでした
「私なら何とかするだろうし何とか出来る」って思ってた
若かったから?(笑)
人に反対されればされる程 そんなジンクス私が覆したるわ‼って
だってそもそも高校だって無理ってさんざん言われてたんだけど受かったし
(運と勇気と覚悟があったから)
高校に無事入った時
大学は東京藝大目指してねと 応援してくれた私の友達のお母さんである同校の先輩に言われて
そんな雲の上の又上のような話~畏れ多いって言ってたのに
二年浪人して 実際に雲の上に乗りかけて
「やっぱり私やりゃぁできんじゃん‼」なんて思ってた矢先に腕が上がらないと言う
心技体の「体」に支障が出て しかも治らないとわかって
大作が描けないと言う絶望感
パニック障害になって薬で喜怒哀楽の感情を失い「心」まで動かなくなっていたけど
薬が減り 心が戻って来て
あ、やっぱり私 絵描きでしか生きていけんわ!って
気がついたのが去年の末の事
器用貧乏で そこそこ何でもこなすから周りは 他の事すすめるけど
私の魂が イヤーって ずっと叫んでたの 無視してきた
今年の夏 縁あって
ずっと気になっていながら怖くて 受けた事のなかったインナーチャイルドと言うセラピーを
受けた時
自分の居場所が どこなのかわかってた
そしてもうそれに気がついて進み始めてる
インナーチャイルドカードがそれを教えてくれた時
ものすごい涙が出て 数日泣きっぱなしでした
だからもう無理してまでクリエイター続けるのやめようって
個展終わったら徐々にお店を辞める方向で向かって行こうって計画でした
今の体調ではまだ 個展とお店を辞めるのを同時進行はかなりの無理があると思ったから
それが 色々と予想外の出来事が重なり
お店を辞めなきゃならなくなって
精神面にかなりのダメージを受けて
一時は 苦しすぎて あんなに減らしたいと願って来た薬を 又もどしたいと思うまでになってしまって
これでは描けない 心が動かない って思った
私はただ手を動かし続け描くことが好きな訳じゃ無いんだ
心が動いた時 この瞬間をとどめておきたい と思った時にしか描けない
本物の絵描き気質なのだと 言う事にやっとやっと気がついた
今年は美術館の申込み方法がわかったし
自分の本質に気が付けただけでも充分進捗したって思える
12月と言う時期 愛知県芸術文化センターと言う場所へのこだわりは
いつか再出発する日は
高校の卒展をした この場所とこの時期にやりたい と思った20数年前の自分との約束
やるなら愛知県芸術文化センターのギャラリーで 来年の12月を予定しています
悩みに悩んだ末に 延期することにしました
一年前に申し込んで 場所も日にちも決まっていました
私は今の愛知県芸術文化センターになる前の
愛知県美術館での最後の展示をした卒業生です
卒展の終わりがけ この入り口からの光景も見納めかーと
しっかりまぶたに焼き付け
ここで展示をする事はもうないのだなーと
大理石張りの冷たい美術館の中でデッサンしたのを 思い出します
描きながら
いつか新しくできた美術館で 展示をする日が来るのだろうか?と思っていました
それから20年以上の間に色んな事があって
もう絵を描く事はないと しっかり扉を閉めて鍵をかけて封印してしまい
新しく出来た美術館にも近寄らず
芸術文化には目をそらし生きて来ました
それでもどうしても捨てられなかった日本画の道具類
今でも幻の三千本膠を使わずに数本持っています
心の奥底の片隅に いつか又ここで展示したいって気持ちがあったのに ずっとずっと蓋をして見ないようにして
絵を描くのは 私に老後があるならば老後でいい
そんな風に思っていました
いつからスタートしたって遅くないって 自分に言い聞かせて
どうしてやめたの?なんて聞かれても
何も言葉に出来ない程色んな事があったんです
強いて言うなら
「好きだけじゃやれない事もある」位かなー?
【心技体】はスポーツの世界だけじゃない
この3つどれが欠けても成り立たない
私0か100かしか出来ないんで
やるなら趣味じゃとどまらず極めたいし
中途半端ならやらない方がマシと思う極端な性格
今まで色んな事してきたけど
苦手なデザインの世界もやったけど
そもそも性に合わないのに
やるならトコトンの性格が出てしまって パニック障害になって
じゃあクリエイターの世界ならと 思ったけど
やっぱ ここ違うわって思った
デザインやクリエイターの世界は やっぱり買う人がいてこそ みたいな 他人目線がどうしてもいる と思う
人の言うかわいい~が私には どうしても理解できないし
一生懸命考えたデザインだって あっさり真似された盗まれていく虚しさ
私が思う画家とは 自我の世界
他人がどう思おうが私がこう表現したいんだ‼って言う
売れるとかどうとかなんて 二の次 三の次の
究極な【我がまま】の自己表現の方法
絵だけは他人と比較されない世界
そんな世界で高校時代と二年間の浪人生活した私が一般社会に出て行くと言うのは
海の生き物が地上に上がり生きていくようなもので
とっても息(生き)苦しかった
そこに気がついていたのに やっぱり目をそらしていた
誰しもが口にする
【絵描きじゃ喰っていけない】と言う見えない鎖にいつのまにか縛られて
私が高校を美術科で選んだ時
市工芸と言う選択肢も薦められました
でも私デザイナー向いてない
絵描きの素質持ってるって 何か変な根拠のない?自信があって
【絵描きじゃ喰っていけない】と言われる度に 「私に限ってはそんなことない」って思ってましたし(笑)
そこに不安も感じていませんでした
「私なら何とかするだろうし何とか出来る」って思ってた
若かったから?(笑)
人に反対されればされる程 そんなジンクス私が覆したるわ‼って
だってそもそも高校だって無理ってさんざん言われてたんだけど受かったし
(運と勇気と覚悟があったから)
高校に無事入った時
大学は東京藝大目指してねと 応援してくれた私の友達のお母さんである同校の先輩に言われて
そんな雲の上の又上のような話~畏れ多いって言ってたのに
二年浪人して 実際に雲の上に乗りかけて
「やっぱり私やりゃぁできんじゃん‼」なんて思ってた矢先に腕が上がらないと言う
心技体の「体」に支障が出て しかも治らないとわかって
大作が描けないと言う絶望感
パニック障害になって薬で喜怒哀楽の感情を失い「心」まで動かなくなっていたけど
薬が減り 心が戻って来て
あ、やっぱり私 絵描きでしか生きていけんわ!って
気がついたのが去年の末の事
器用貧乏で そこそこ何でもこなすから周りは 他の事すすめるけど
私の魂が イヤーって ずっと叫んでたの 無視してきた
今年の夏 縁あって
ずっと気になっていながら怖くて 受けた事のなかったインナーチャイルドと言うセラピーを
受けた時
自分の居場所が どこなのかわかってた
そしてもうそれに気がついて進み始めてる
インナーチャイルドカードがそれを教えてくれた時
ものすごい涙が出て 数日泣きっぱなしでした
だからもう無理してまでクリエイター続けるのやめようって
個展終わったら徐々にお店を辞める方向で向かって行こうって計画でした
今の体調ではまだ 個展とお店を辞めるのを同時進行はかなりの無理があると思ったから
それが 色々と予想外の出来事が重なり
お店を辞めなきゃならなくなって
精神面にかなりのダメージを受けて
一時は 苦しすぎて あんなに減らしたいと願って来た薬を 又もどしたいと思うまでになってしまって
これでは描けない 心が動かない って思った
私はただ手を動かし続け描くことが好きな訳じゃ無いんだ
心が動いた時 この瞬間をとどめておきたい と思った時にしか描けない
本物の絵描き気質なのだと 言う事にやっとやっと気がついた
今年は美術館の申込み方法がわかったし
自分の本質に気が付けただけでも充分進捗したって思える
12月と言う時期 愛知県芸術文化センターと言う場所へのこだわりは
いつか再出発する日は
高校の卒展をした この場所とこの時期にやりたい と思った20数年前の自分との約束
やるなら愛知県芸術文化センターのギャラリーで 来年の12月を予定しています
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